さらにこちらでは
勝者は間違ったときには「私が間違っていた」と言う。
敗者は「私のせいではない」と言う。
勝者は勝因は「運が良かった」と言う。例え運ではなかったとしても。
敗者は敗因を「運が悪かった」と言う。でも、運が原因ではない。
勝者は敗者よりも勤勉に働く。しかも時間は敗者より多い。
敗者はいつでも忙しい。文句を言うのに忙しい。
勝者は問題を真っ直ぐ通り抜ける。
敗者は問題の周りをグルグル回る。
勝者は償いによって謝意を示す。
敗者は謝罪をするが同じ間違いを繰り返す。
勝者は戦うべきところと妥協すべきところを心得ている。
敗者は妥協すべきでないところで妥協し、戦う価値がない所で戦う。
勝者は「自分はまだまだです」と言う。
敗者は自分より劣るものを見下す。
勝者は自分より勝るものに敬意を払い学び取ろうとする。
敗者は自分より勝るものを不快に思い、アラ捜しをする。
勝者は職務に誇りを持っている。
敗者は「雇われているだけです」と言う。
勝者は「もっと良い方法があるはずだ」と言う。
敗者は「何故変える必要があるんだ?今までうまくいっていたじゃないか」と言う。
末っ子がずっと泣き止まない時に、長女が「わかるよ。泣き止みたいのにすぐに泣き止めないときあるよね。そういうのね、大丈夫なんだからね」と語りかけていて、末っ子がうんうんと頷いている。
「人生の教訓」(作者不明)私の人生でまなんだこと・・・
6歳のとき
「きよしこの夜」を歌いながらいつも泣くから
わたしはその先生が好きなんだとわかった
7歳のとき
飼ってる犬もわたしと同じでブロッコリーが嫌いなんだとわかった
9歳のとき
田舎の人は 手を振ると
仕事の手を止めても 手を振り返してくれるんだとわかった
12歳のとき
お部屋を便利なように整えると
ママはもう一度片付けろと言うことがわかった
14歳のとき
元気になりたいと思ったら
誰かを元気付ければいいとわかった
15歳のとき
認めるのは嫌なんだけど
パパとママが厳しいのはいいことなんだとわかった
24歳のとき
アドバイスの言葉よりも
何も言わずにそばにいてくれる友達の方が
心を癒してくれるとわかった
26歳のとき
わが子の髪をとかしてあげることは
ほんとうに幸せなことなんだとわかった
29歳のとき
わたしが行くところにはいつも
この世で一番運転の下手な人がついてくるんだとわかった
39歳のとき
誰かがわたしの悪口を言ったら
自分は 誰もそれを信じないような
生き方をすればいいんだとわかった
42歳のとき
本当は自分をとても大切に思ってくれているんだけど
その示し方がわからないだけという人がいることを知った
44歳のとき
ちょっとした手紙を送るだけで
誰かの一日をいい一日にできるんだとわかった
46歳のとき
自己嫌悪の強い人は
他の人を責める気持ちも強いとわかった
47歳のとき
おじいちゃんおばあちゃんと孫たちは
自然とチームを組むものなんだとわかった
48歳のとき
今日 何があろうと どんな悪いことが起ころうと
人生は続いていくし 明日はいいことがあるんだとわかった
49歳のとき
聖歌の「アメイジング・グレイス」を歌うと
とても元気になることがわかった
50歳のとき
ホテルのベッドのマットレスは
電話の傍じゃない方が寝心地がいいとわかった
52歳のとき
この3つのことをどう処理するかで
男の人はだいたいわかると知った
雨の日
なくし物
こんがらがったクリスマスツリーのライト
52歳のとき
自分で野菜畑を作るのは
いっぱい詰まった薬箱と同じ価値があるとわかった
55歳のとき
親とどういう関係にあろうが
親が死んだら本当に悲しいものだということがわかった
58歳のとき
「生きること」と「暮らしていくこと」は
違うんだとわかった
61歳のとき
子供に良くしてやろうと思ったら
まず自分の夫婦関係を良くしなければいけないとわかった
62歳のとき
人生には二度目のチャンスが与えられているとわかった
64歳のとき
両手にキャッチャーミットを持ってたらいけない、
何かを投げ返せるようにならなくてはいけないとわかった
65歳のとき
幸せそのものを追い求めればそれは逃げていくけど
家族と、他の人の必要と、新しい出会いと、
ベストを尽くすことを心がければ
幸せが自分を見つけてくれるんだとわかった
66歳のとき
優しい心で何かをする時
それはたいてい正しいことだとわかった
72歳のとき
誰にでも祈ることが必要だとわかった
75歳のとき
奇跡を信じる者は報われるとわかった
実は わたしもいくつか奇跡を目撃したので
82歳のとき
苦しみがあっても
誰かの苦しみの種になる必要はないとわかった
85歳のとき
毎日誰かと触れ合うことが必要だとわかった
握手でも、抱擁でも、軽く背中をなでてやることでもいい
人は人のぬくもりが必要なのだと
92歳のとき
まだまだ学ぶべきことがたくさんあるということがわかった
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アメリカの諜報機関だとハニートラップを仕掛けられた場合「ハニートラップを仕掛けられているようです」と上司に報告すると相手に渡す用の偽の機密とか現金とか用意してくれて相手から貰った物は懐に入れて良いし夜の方も自由なので仕掛けられた方は大変美味しい思いができると聞いたことがあります
実際問題、ハニートラップを仕掛けてくる側は「ハニートラップに引っかかってしまった」こと自体を弱みにしてくる訳だからしてきちんと報告さえしておけば経歴にも傷が付かず美味しい思いができるというのはとても理にかなっていると思うマン(・ω・ )逆転の発想だよね
Twitter / FakeFalcon (via y-kasa)
説教臭いこというと、いいところに就職するより、長く良い人間であれるような場を探すほうがよいと思うのだよね。まあ、そういうと自己満足とかいろいろ言われるわけだけど、40歳過ぎると社会的なステータスより、ああ、この人は良い人なんだというのが、大人というのには滲むところがある。
目の前にいる優秀な人を見て足を引っ張ったり、ちょっと気に入らないからといって誰かをいじめたりするのは「自分に能力がないことを宣伝している」ということをしっかり覚えておいてください
デジタルツールを触りながらダラダラしているだけ。リンクをクリックしては、自己顕示欲の強い愚か者や評論家、広報やマーケティングの担当者らが垂れ流す無意味なゴミの激流をかき分けている
人に会うことが嫌いだ。
編集部との打ち合わせや仲間との飲み会、気になる子とのデート、僕はそれら全てが等しく嫌いで、できればやりたくないとすら思っている。このあたり少し説明が難しいのだけど、“会う”という行為自体が嫌いなのではない。会えば楽しく過ごすし、饒舌すぎるほどに喋り倒して引かれてしまうことだってある。ただ、そこに至るまでの心の準備が重苦しい、それだけで“会う”という行為が嫌いなのだ。
僕は人に会うとき、人に会う自分になる必要がある。おそらく、その自分になるのに人よりも時間がかかるのだろう。家を出てすぐに新宿アルタ前に到着してしまっては、人に会う自分ではない状態で会わねばならないのだ。それは丸裸を見られることに近い。だから僕は時間をかけてゆっくりと人に会う準備をし、 “人に会う自分”になる必要がある。これは絶対だ。それには八王子から新宿までくらいの時間と距離が必要なのである。
私も実践しているその方法とは、「朝イチでやらなければならないことを用意しておく」ことです。この「朝イチ予定」があると、人は驚くほど目覚めたときから頭がしゃきっとなり、だらだらすることなく一日をスタートさせることができます。
